安宿の通り
この辺はドヤ街ですから宿が強烈に安い。安い宿は簡易宿泊施設と呼ばれており、木造の古いものから、ビジネスホテルタイプや、マンションタイプといった新しいものまでいろいろあります。人が寝ることが出来るという程度の 2、3畳の部屋で、エアコン、テレビ付きという条件のところが多いようです。
この辺にいるオッサンや、国内貧乏旅行者が主な客でしたが、最近はこの辺の安宿が英語サイトなどでも紹介されていることから、白人バックパッカーも多いそうです。欧米系のバックパッカーはフレンドリーなので英語の勉強にもなるとのこと。ネット上では「英会話をしたいならドヤ宿に行け」というアバンギャルドな勉強方法を提唱されている方もいます。興味のある方は一度宿泊されてみては如何でしょうか?
お値段は 1,000円前後。2,000円も出せば高級なところに泊まることができます。私が見つけた最も安い宿は 一泊 560円でした。
ホテル看板
ホテル看板
飛田新地(昼)
この辺は 1916年(大正5年)から 1958年(昭和33年)まで大遊廓として栄えた所です。飛田遊廓とも言って大正時代に築かれた西日本最大級の遊廓。大赤線地帯。ここは戦災を免れたこともあり、現在も昔ながらの佇まいを残しています。
4メートル程の間口の 2階建て木造家屋が整然と並び、統一された提灯や看板の趣のある家並みが 200軒以上も続きます。昭和 33年、日本では売春防止法が施行されました。売春防止法から逃れる為、飛田遊郭は飛田新地料理組合という料亭街に転向しました。転向といっても表向きだけで色街としての営業内容は今も変わっていません。
夕暮れともなると、提灯やライトに火がともり独特の風情を醸し出します。まるで異世界。この世の桃源郷。どの家屋も玄関の引き戸が開いたままになっており、ピンクの妖しいライトがちょこんと座った美しい姫(女性)を照らし出します。姫の横には必ずおばさんが座っており、このおばさんが道行く人に声をかけて客引きします。姫は決して声を発しません。首を傾け、にっこり微笑むだけ。ピンクに映し出される妖艶で色っぽい姫たち。交渉するおばさんと、品定めをしながら歩く男たち。大正時代から時が止まったような迷路のような町並みに合いまみれ不思議な淫靡さを漂わせています。日本独特の淫猥さとでも言うべきか。
この辺りを歩くだけで、とても不思議な気持ちになります。ここはずっとこのままであって欲しい。
飛田新地(夜)
飛田新地のお店
カラオケ跡地
天王寺公園に残っている小屋
天王寺公園内には、かつて青空カラオケ通りと呼ばれていた道がありました。複数の青空カラオケ露店が道を不法占拠し、レーザーディスクのカラオケセットを発電機で動かし営業していたのです。
露店ではビールなどのアルコール類も販売しており、酔っぱらったオッサンやオバハンが大音響でカラオケを熱唱していました。これを眺めるのが面白くて当時は何度も足を運んだものです。残念ながら、2003年12月15日大阪市の行政執行により、撤去されました。天王寺動物園の警備員のおばさんは、「カラオケ営業だけではなく、売春の斡旋をやっていたのが大阪市を強制撤去に踏み切らせたのではないか。」と言っていました。
同時期、天王寺公園には浮浪者が小屋を建まくっていたのですが、現在ではほとんどが撤去されています。有名な左翼詩人のオッサンの小屋はまだ残っていました。このオッサンは今でも詩集を売っています。「道端でぐっすり寝てる アウトドアー達人」とかいう詩があって笑ろた。
#316 大阪西成情報その1 日本のスラム街、釜ヶ崎・あいりん地区について
#317 大阪西成情報その2 釜ヶ崎・あいりん地区の観光情報(日雇労働者、ドヤ街、泥棒市場、三角公園など)